読まなきゃ、読みたい、と思いながらも手を出せなかったこの物語。
読み始めてからも、それを進めることの難しさにのたうち回る日々。
そうです。
この豊饒の海第3巻から逃れるためだけに、映画を観ていたのです。
お陰様で映画通になれました(うそ)。
弁護士としてタイの国へと降り立った本多。
そこには、自分は日本人だと訴える姫君がいた。
7才の彼女の名は、月光姫だった。
パッタナディド殿下が
昔の許嫁の名前を末娘に付けたのだ。
暁の寺 (新潮文庫―豊饒の海)
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ここへきて完全に、今までは輪廻転生の傍観者(というか確認者?)だった本多さんが主人公となってしまいました。
これは危ない。
輪廻転生する主人公の物語を読みながら、世界を自分勝手に認識するための全4巻かと思っていたのに。
読者である自分と同じ立場だと思っていた本多さんが主人公になってしまったら、これは本多さんの物語になってしまうじゃないですか(当たり前)。
ていうことはなに?
第1巻と第2巻はどうなっちゃうの?
登場人物のひとりである本多さんの視点だったとしたら、それは本多さんだけのものであるはずで、事象としては成立していなかった可能性もあるということになっちゃうんじゃないの。
あぁ、どうしましょ。恐るべし、認識。
三島由紀夫さんが転生輪廻を信じていたかどうかは知らないけれど。
大乗だの小乗だのってワタクシちんぷんかんぷんだったんですけど。
ていうかまた燃えてますよ!
#映画『金閣寺』の映像が脳裏に浮かんじゃいましたよ!
同じ火事でも、あっちは「有」、
こっちは「有のためには無」というように思えます。
しかし燃やすの好きだなぁ、三島さん。
「身の毛もよだつほどの自己嫌悪が、もっとも甘い誘惑と一つになり、自分の存在の否定自体が、決して癒されぬということの不死の観念と一緒になるのだ。存在の不治こそは不死の感覚の唯一の実質だった。」(本文より抜粋)